謡曲「誓願寺」と扇塚/浄土宗西山深草派 総本山 誓願寺


 


 

 

謡曲「誓願寺」と扇塚


 

扇塚の由来

 

扇塚 世阿弥の作と伝えられる謡曲「誓願寺」は、和泉式部と一遍上人が主な役となって誓願寺の縁起と霊験を物語ります。

 

この謡曲の中で、和泉式部が歌舞の菩薩となって現れることが、能楽をはじめ舞踊など芸能の世界で尊崇され、江戸時代から誓願寺へ参詣するその筋の人が数多くありました。特に舞踊家が多く、文化・文政・天保(1804-1844)のころに京都で活躍した篠塚流の祖・篠塚文三郎(梅扇)は、幸若の系を引く能楽的な色彩と歌舞的な色彩を調和させた優れた芸風を示したといわれ、天保年間には山村舞とともに京阪で大いに流行しましたが、彼ら舞踊家の中に誓願寺の和泉式部信仰がありました。

 

歌舞の菩薩となる和泉式部/誓願寺縁起より その信仰を、昭和・平成の時代まで伝承した舞踊家がありました。 誓願寺の「扇塚」に芸道上達を祈願して「扇子」を奉納することには、このような深い歴史的な意味が秘められているのであります。

 

また誓願寺第五十五世、策伝日快上人(1554-1642)が「醒睡笑(八巻)」を著作して落語の祖と仰がれておられることも、「扇子」との強い絆を保持するゆえんであります。


 

 


 

和泉式部忌に奉納される謡曲「誓願寺」謡曲「誓願寺」

 

  • 作者 世阿弥(伝)
  • 季節 三月
  • 場所 誓願寺
  • 登場人物
    前シテ 女
    後シテ 和泉式部
    ワキ 一遍上人
    ワキツレ 従僧二~三人

 

【前半】

一遍上人が熊野権現に参籠し、「南無阿弥陀仏決定往生六十万人」の札を弘めよとの霊夢をみる。都へ上り、念仏の大道場、誓願寺で御札を配っていると、一人の女性が御札の言葉を見て、「六十万人より外は往生できないのでしょうか」と問う。上人は、「これは霊夢の、六字名号一遍法、十界依正一遍体、 万行離念一遍証、人中上々妙好華の四句の上の字をとったものであり、〝南無阿弥陀仏〟とさえ唱えれば誰もが必ず往生できる」と説く。すると女性は有り難がり、「本堂の『誓願寺』の寺額に替え、上人の手で『南無阿弥陀仏』の六字の名号をお書き下さい。これはご本尊阿弥陀如来の御告げです。私はあの石塔に住む者です。」と、 近くの和泉式部のお墓に姿を消す。

 

【後半】

一遍上人が「南無阿弥陀仏」名号を書いて本堂に掲げたところ、どこからともなく良い香りがし、花が降り、快い音楽が聞こえ、瑞雲に立たれた阿弥陀如来と二十五菩薩と共に、歌舞の菩薩となった和泉式部が現れる。 誓願寺が天智天皇の勅願によって創建された縁起が語られ、阿弥陀如来が西方浄土より誓願寺に来迎される模様などを描く荘厳優美な舞が舞われ、最後は菩薩聖衆みな一同に本堂の六字の額に合掌礼拝するのであった。


 

 

 

 

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